京都大学医学部、1899(明治32)年に京都帝国大学医科大学として創立されて以来今日まで、110余年にわたり世界の医学と医療の分野で先進的な役割を果たしてきました。本医学部には、このことを如実に示す多くの歴史的資料が残っています。さらに、去る1999(平成11)年の医学部創立100周年を記念したアルバム「近衛町無番地」の発刊に当たっては、卒業生の方々から多くの資料の御寄贈を受け、現在も大切に保管されています。
しかし非常に残念なことに、本医学部にはこれらの貴重な歴史的資料を展示し、卒業生や在学生のみならず広く市民の方々に常時公開する施設がありません。東京大学や大阪大学をはじめとする多くの医学部には独自の歴史資料館が附置されていることに鑑みると、忸怩たる思いを感じずにはおれません。
折も折、医学部構内の旧解剖学講堂の耐震工事にかかる予算が京大本部から措置されました。旧解剖学講堂は京都帝国大学医科大学創立3年後の1902(明治35)年に建てられた、木造平屋建て(寄棟造り桟瓦葺)の本学でも最も古い建物で、京都大学歴史的建造物に指定されています。写真をごらんになれば殆どの皆様が、「ああ、あの講堂か」と思い出されることと思います。この講堂は長らく使われておらず内部の階段教室も荒れ果てた状態で、ひっそりとその外観だけが維持されてきました。
この機会に旧解剖学講堂は歴史的建造物としてその美しい外観を保持したまま、内部を機能改修して再び講堂として使えるようにすることにしました。同講堂には階段教室を取り囲むように、かなり広い「準備室」がありますが、折角の機会なのでこのスペースに医学部の歴史的資料を展示するように改修できれば、全体として講堂を兼ね備えた立派な医学部歴史資料館にすることができると考えるにいたりました(図参照)。これが実現すれば、これまでの長い芝蘭会の活動の歴史や、現在広島県大野町にある京大原爆災害調査班遭難記念碑のレプリカなどを展示することも可能になるでしょう。
大学の歴史と伝統は、もちろん人から人へと受け継がれるべきものですが、この精神を正しく媒体する材料としての歴史的資料は将来に亘ってきちんと保持されるべきものと考えます。そのためにもこの「医学部記念講堂・歴史資料館」構想は何としても実現させたいと強く希望しております。格調の高い記念講堂は単に在学生の講義にとどまらず、芝蘭会の様々な行事や公開講座など多目的に使用可能ですし、歴史資料館も適宜市民や内外の来客などにも広く公開するつもりでおります。ただ資金的には、講堂改修以上のものについては、現実的に現医学部の内部資金のみでは明らかに困難です。芝蘭会会員の皆様におかれては、上記の趣旨にご理解とご賛同をいただき、この実現にむけて是非とも格段のご協力をいただきたく心からお願い申し上げる次第です。 |